「人生思うようにならん。けど、ほれがおもっしょい」高戸久さん

「人生思うようにならん。けど、ほれがおもっしょい」高戸久さん

高戸久さん。通称「ひさっさん」。「牟岐・出羽島アート展2015」における笹見地域の展示(むくの木、笹見コミュニティセンター)は、この人無しでは成功し得ませんでした。いつも私たちのことを全力で応援してくれる高戸さんの「これまで・いま・これから」をじっくり聞かせてもらいました。

 いろんな人といろんな場所で、楽しみをみつけながら働いた日々。

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牟岐町笹見で生まれ、高校卒業後地元の縫製工場に就職。就職動機を聞くと、

休みが結構あったけん、野球(地域で野球チームをくんでいた)がいっぱいできるかなと思ったんよ。

と笑う。

しかし就職後すぐ、本社の大阪に転勤。野球はできなかったけれど、大阪生活はかなり充実したものだったそう。

営業やったんもあって、色んな人にお世話になってな。働き方も遊び方もいっぱい教えてもろたわ。この時代の出会いで後々助けられたなぁ。

5年間の大阪勤務を経て牟岐へ戻り、プリント担当となる。シルクスクリーンで商品に印刷をするのはもちろん、機械を直したり、果ては手動の機械を自作したりもしたそうだ。

様々なスポーツメーカーや有名キャラクターの商品を制作し忙しく過ごしていたが、時代の流れと共に人件費が安い海外に仕事が流れるようになり、会社が倒産。この時代牟岐の多くの縫製会社が倒産したそうだ。

その後別の縫製会社で働くものの、そこも倒産。しかし、若かりし頃大阪で仲良くなっていた人から声をかけられ、中国にプリントや裁断技術を教えに行くことに。電気の供給が不確実で急に停電になることも多々あったため、自家発電で裁断やプリントができる機械も現地で自作したそう。

中国楽しかったよ。自分が日本の裁断とプリント技術を担当しとるわけやけん、プレッシャーもあったけどな。全然環境も文化も違うし。けど、ほれが楽しかったわ。

1年半の中国での仕事を終えて牟岐へと帰ってくると、職種をガラッと変え、建設会社で働き始める。しかし、何十年も続けてきた仕事から全く別の仕事をすることは不安ではなかったのだろうか。

今まで積み上げてきた技術や経験も生かせないし、若いころならまだしも40歳も過ぎている。そんな疑問をぶつけてみると…

また新しいこと勉強せなあかんかったけど、土木も楽しいで。高いとこ苦手やけん、山で仕事しよったら時々足ガクガクなるけどな。笑

と答えてくれた。

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今や石垣から山道までも作れる。「この角合わせるんがちょっとコツがいるんよ」と、自宅のお手製石垣の前でレクチャー。

20年以上の経験を眠らせ、また一から新しいことを始めるというのは、おそらくとても勇気が必要な行為なんじゃないだろうか…と、そんな経験も無い私なりに想像してみる。しかし、高戸さんと話していると、それもひとつの人生の楽しみだと思わされてしまう。

おそれるのは簡単だが、それでは何も前に進まない。新しい世界に踏み込むのに年齢は関係無いのだ。

 

地域の想いをつなげていく

別の世界を見て帰ってきた高戸さんの目にとまったのは、幼いころから当たり前の風景としてあった1本のむくの木だった。

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この木には、とある伝説がある。

昔々、ひとりの怪我をおった武将が戦から逃れこの地で割腹自殺したので、住民たちは祠を建て、むくの木を植えて丁重に彼を弔った。時は経ち、むくの木は大きくなりすぎて周囲の田畑に日が入らなくなってしまったので、木を切り倒してしまった。
すると、疫病が流行、作物は不作になるなど、この地を不幸が次々と襲った。
木を切り倒した祟りだ、と考えた住民たちが新しい木を植えると、不思議なことにそれまでの不幸はピタッと止み、平穏な日常が戻った。
その後200年、この木は「むくの木さん」と呼ばれ住民たちに大切に守られつづけている。

と、いうものだ。

そして、この木は地域の子供達の遊び場でもあった。
地域のどんな人に聞いても、このむくの木で遊んだという話を聞くことができる。
木の上で鬼ごっこをしたこと。
競ってむくの実を食べて手を紫に染めていたこと。
木の下にある大きな石を抱えて力くらべをしたこと。
90歳のおばあさんたちですら「私はあの木登るん一番やったんよ。男の子にや負けんかった!」

と笑いながら話してくれる。

わしはちっちゃい時から高所恐怖症やったけん一回も登ったことなかったけどな。みんなが上で楽しそうにしよんを下から羨ましそうに見よったよ。ほれでもみんなで集まって遊ぶんは楽しかったわ。

と、高戸さん。
※ちなみに高戸さん、現在はむくの木に登れます。理由は後ほど。

誰もがむくの木の話をする時は笑顔で楽しそう。
まるで子供に戻ったように目がキラキラと輝いているのだ。

200年の間先人達が守りつづけ、自分たちもお世話になった、この木への地域の人たちの想いをつないでいきたい。

そう考えた高戸さんは仲間と一緒にむくの木を町の天然記念物指定に申請し、さらに地域のみんなが楽しめる場を作るべく「むくの木祭」を開催する。

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かき氷やくじ引き、たこ焼きなど住民手作りの屋台が並ぶ。ある年には南極の氷の展示も!

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子供達が遊んでいるストラックアウトとバスケのゴール、なんと手作り。
ここ笹見は大工さんや建設業の方が多いモノ作り大地域なので、これぐらいお茶の子さいさいなのだ。

他にもフラダンスや阿波踊りなど、手作りながら地域の方が創意工夫したこのお祭りは200人以上のお客さんが来るまでになったが、高齢化による人手不足などもあり10年目に終了した。

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みんなでワイワイやって楽しかったけどな、地域の人らだけでああいう祭を毎年やっていくんは今後この土地では厳しいなと思ったよ。

それでも何かをしなければ、この土地はどんどん人がいなくなり元気がなくなるだけだと考えた高戸さん。
祭に変わる次の一手を考えていた中で、三好市にある老舗の酒造屋・三好菊酒造さんと縁あって知り合うこととなり、三好菊さんに協力していただき「むくの木」オリジナルラベルの日本酒を作ることにする。

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むくの木ラベルのお酒を持つ高戸さん。撮影:エンドウダイスケ

牟岐の酒屋さんに置いてもらったり知り合いに配ったりと、小さくとも続けてきたこの「むくの木酒」は、「牟岐・出羽島アート展2015」をきっかけに新しい広がりをみせる。

このお酒に込められた地域への想いや、高戸さんをはじめとする笹見の人々の人柄に惹かれた、アート展参加アーティストの写真家・エンドウダイスケさんとデザイナー・ナカバリヨウコさんが、「町内だけでなくもっといろんな人に知ってもらいたい」と、お土産や贈答品にしやすいようにボトルからデザインを一新、ポスターも制作してくれたのだ。

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おみやげにしやすい小さめのボトル。シンプルながら、高戸さんたちのむくの木に向ける無垢な想いが伝わってくるよう。

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エンドウさんとナカバリさんのスーパーコンビネーションで作られたポスターはボトルに合わせて2種。

モデルはおなじみ六角舎メンバーみなみちゃんと、恥ずかしながらワタクシ。

「それぞれの性格からは想像できない表情とコピーながら不自然じゃない」
「これがプロの技か!」

と、関係者内で話題となった。

アート展後の現在も、エンドウさん・ナカバリさん・私宮本でチームを組み、このお酒を少しずつ広めていこうと活動中です。詳細はFBページ「むくの木」をご覧ください。

むくの木

このページから受注販売もできるのでゼヒ!!!

宣伝はこのぐらいにして…

もう一人、高戸さんを初めとする地域の人々に惹かれて笹見に新しい風を吹き込んだ人がいる。アート展の際むくの木で作品展示をした早渕太亮さんだ。

むくの木はいつも子供らが集まっとったけど、今は子供も少ないし遊び方も変わったし誰もおらんなぁ。

そんな地域の声を聞いた早渕さんは、高戸さんを中心とした住民のみなさんと協力し合い「無垢の声」という作品を制作した。

hayabuchi00「無垢の声」ができるまでの詳細はこちら。

牟岐・出羽島アート展2015

アート展が終わってからも6月末まで継続して作品は展示されたのだが、見事むくの木には近所の子供たちが集いだしたのだ。

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この日は笹見ではない地域の友達を連れて遊びに来ていた。「ここやで!」と紹介する少し誇らしげな声が嬉しい。また、これまで高所恐怖症のため木に登れなかった高戸さんだったが…

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作品の一部としてハシゴを設置したことで、人生で初めてむくの木に登ることができた。

みんなこんな気持ちいい景色を見よったんやなぁ。まさか自分が見れるとは思わんかったわ。早渕さんと出会わんかったらこんな経験できんかったもんなぁ。

エンドウさん、ナカバリさん、早渕さん、そして私。これまで笹見という土地を知りもしなかった人間たちがこの地域を愛し、自分たちにできることは何か無いか、と動いている。それは、高戸さんの「地域の想いをつなげたい」という想いに惹かれたからに他ならない。

少なくとも私は「高戸さんの想いをつないでいくのは自分だ!」と、頼まれてもいないのに笹見のことにメラメラ情熱を燃やしている。

 

人生思うようにはならんけど、後悔はない。

仕事も地域への活動も自主的に楽しみ、ポジティブでいつも明るい高戸さんだが、何度も「人生思い通りにならん」という大きな壁を乗り越えている。

その中でも一番大きな壁を経験したのは、高戸さん37歳のとき。5年間の大阪勤務を終え牟岐に戻ってきた高戸さんは、ひとりの女性と出会う。当時、牟岐駅前にあった喫茶店で働いていたその女性は、穏やかな笑顔が印象的だったそうだ。惹かれ合った二人は結ばれ、間もなく子供も産まれ幸せな結婚生活を過ごす。

優しい人でなぁ。一回も喧嘩したことなかったわ。

しかし、結婚生活5年目にして奥さんが急に倒れこの世を去ってしまう。

ほらごっつい辛かったわ。子供もまだ保育園児やったし、先のこと考えたら不安ばっかりやった。あんなしんどい時期は経験したことないな。

かける言葉を探す私を気にしつつ、高戸さんは続ける。

けど親が前向きに生きとかんと子供が前向けんけんな

両親に子育てを助けてもらいながら、自分は必死に働いた。

冒頭で書いた会社の倒産や40歳を過ぎてからの職種の変更も壁ではあったけれども、以前経験した辛さに比べたら、また子供も自分も前向きに生きていくためなら、大したものではなかった。

しんどいことは多かったけど、後悔はしてないよ。あんな幸せな時間を与えてくれて子供まで残してくれたんは嫁さんがおったけんやし、倒産してもそれぞれの仕事で知り合った人らがおって今の自分があるしな。

そんな大きな壁を乗り越えてきた高戸さん。私たち次世代の地域を担う人間に対して、どんな思いを抱いているのか聞いてみた。

若い人がアイデア出したら、わしら年寄りは無条件でとりあえずは賛成せなあかんと思うんよ。若い人が地域のこと考えてくれたもんで、わしらには思いつかんもんやったら。ほの中で自分らが言えることは言うし、助けれるところは助ける。否定することは簡単やけど、何もかも否定から始まったら楽しないでな。

私は、少し壁に当たったり物事がうまくいかなくなったりすると、すぐ落ち込むし投げ出したくなる。しかし、高戸さんと出会いじっくり話を聞くうちに、自分がなんと甘ったれでちっぽけな人間なのかと思い知らされた。

私には想像もつかないような人生の大きな壁を乗り越えながら、さらに地域の想いをつなぎ、私たち価値観の異なる他者を柔軟に受け入れる。なかなかこんな人は素晴らしい人はいないのではないのか…と思うが、高戸さんは、ほこらへんに住む田舎のおっちゃんなのだ。

知らないだけで、「田舎に普通にいる」人たちの人生には、どんな女優や俳優にも負けない「普通じゃない」人生が詰まっている。高戸さんを皮切りに、私は田舎にいる「普通で普通じゃない」人たちの人生を紹介していきたい。

それは、どこにも取り上げられていない壮大な物語で、私たちが学ぶべき部分が必ずあるはずだから。

記事を書いた人

宮本 紫野
宮本 紫野
「牟岐・出羽島アート展2015」ディレクター。
現在は、アート展で生まれた、地域とアーティストたちとのつながりを丁寧に育て、新たなつながりを増やしていくべく、ゆるゆると活動中。
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