笑顔が超素敵な観光ボランティアガイド 庄野二六さん

笑顔が超素敵な観光ボランティアガイド 庄野二六さん

牟岐生まれ牟岐育ちで、牟岐駅の前の「庄野石油」の元オーナーで、現在観光ボランティアガイドとしてボクたちの大きな支えとなってくれている庄野二六さん。今回のこの記事のために色々とお話を伺ったので紹介しましょう。

 

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大学の数年間だけ横浜に住んでいたという、牟岐町生まれで、ほとんどの牟岐町育ちの庄野二六さん。いつもお昼になると六角舎(ヘキシャ)の事務所に顔を出してくれるので、その際に改めて色々とお話を伺ってみた。

 

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庄野:ボクは大学の時に横浜におったんやけど、それ以外は牟岐におったね〜。親父の仕事を引き継ぐ形で帰ってきたて、石油とLPガスの販売をしよったね〜。

庄野さんは5年ほど前に引退して、庄野石油は現在は違う方が引き継いでいるのだが、ボクも個人的に石油やガスでお世話になっている場所である。引退してからの庄野さんは「観光ボランティアガイド」として活躍をしている。

庄野:観光ボランティアガイドは庄野石油を引退してから立ち上げたね〜。というのも出羽島アート展第一回目が行われることが決定した時に、そうした観光ガイドが必要だろうと考えよってね〜。

そんな形で立ち上げられた「観光ボランティアガイド」。では現在どんな内容で活動しているのか聞いてみた。

庄野:牟岐にある観光場所や観光資源を案内すると同時に、観光資源を発掘していく活動がメインになるね〜。例えば五剣山や鬼ヶ岩屋の登山道を整備したりとか…やっぱり牟岐は南の方に位置するから、冬でも雪が積もらん為に登山しに来る方がおるんよね〜。あと漁村巡りとかやね〜。出羽島のハイキングコースの案内とかもしとるね〜。大島の方も案内しとるね〜。

 

登山道の整備についてはこちらの記事を参考に。
そこから何が見える? 牟岐の五剣山の眺め | 六角舎-ヘキシャ
鬼の住む山、鬼ヶ岩屋 | 六角舎-ヘキシャ

 

庄野02

ボクも牟岐に移住したての2014年9月頃に、庄野さんに何度かお世話になって牟岐の町を案内してもらったことがあった。牟岐の事を全く知らない時だったので非常に新鮮で面白かったですね。その時にはこんな事を話してました。

庄野:昔牟岐にはね〜、イギリスの帆船が牟岐沖に停泊して、3日ほどおったとかそんな歴史が残っとるんですね〜。停泊して何しよったんやろね〜(笑)。あとね〜、あの大島には日本地図を作った伊能忠敬が島に渡って測量した記録が残されているとかもあるんよね〜。

…と、昔の牟岐の歴史を聞かせてくれたりするのである。

 

庄野03

またボクたちの活動の手伝いも積極的に行ってくれる。はっきりいって庄野さんがいなければボクらの活動はありえないのである。現在74歳だという庄野さん。とても趣味が多彩なのも庄野さんの魅力である。

庄野:趣味は最近は足を痛めてしまったからなかなか出来んようになってしまったけんど、ランニングをずっとやっとたね〜。今はウォーキングや水泳をしよるね〜。またサンゴ保全活動のために海に潜ったりもしとるね〜。山歩きもしよるし。
でも一番長く続けとったのはサッカーやね〜。高校から社会人までずっとやっとったからね〜。昔はサッカーなんて文化がなかったからサッカーといったら「楕円形のボールのやつか?」とよく言われとったね〜。

まさに歴史である。

 

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今後観光ボランティアガイドをどうして行きたいか聞いてみた。

庄野:そ〜やね〜。やっぱりあれやね〜。牟岐においでくださった方に満足していただきたいというのがあるのと、まだまだ観光資源がたくさんあるはずなので、それを発掘して観光商品にしていけたらええな〜。あと現在はボランティアやから、今後この活動を続けていくためにも活動費の捻出についても考えていかなければいけんな〜。

現在ボランティアで18名で運営をしているそう。しかしなかなか参加出来ない人も多く、出来ればもっと人数を増やして行きたいな〜とも話す。

 

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おにぎりを食べながらの庄野さん。笑顔が素敵なのである。

庄野:団体でもお一人さまでも牟岐町の観光ガイドを受け付けとるよ〜。

とのことなので、もし牟岐町に一度行ってみたいと思われる方がいたら、是非この庄野さんの「観光ボランティアガイド」にお願いしてみてはいかがだろうか?実はボク自身もまだまだ牟岐のことを知らない人間なので、観光ガイドしていただこうと思っている。

 

 

記事を書いた人

小林大介
牟岐町に2014年9月に移住。現在は牟岐町地域おこし協力隊として活動中。六角舎(ヘキシャ)のシステム構築、運営、管理を担当。プロジェクトリーダーでもある。