不可能を可能にさせるトンネル、その名は「ひこじいのトンネル」

不可能を可能にさせるトンネル、その名は「ひこじいのトンネル」

牟岐から海陽町へ抜ける山奥の道。この山道の峠にある、「不可能を可能にした人」のトンネルを紹介します。

 

里山を眺めながらの上り坂をゆく。

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▲県道37号線を登ってゆくと、やがて1車線の山道になります。

牟岐町地域活性化センターのあるところは、「河内」と呼ばれる地域の南端。ここから県道37号線をひたすら山の方へ登ります。この道は海陽町とつながっていて自動車でも通行できますが、12月の良い天気の日だったので、自転車に跨がり頑張って漕いでいきました。しかし…なかなかしんどい。夏ならギブアップやなあ、と感じる傾斜もあります。山肌の湧き水で回復しながら漕ぎに漕いで30分ほど登ると、2車線から1車線に。ここから先は里山の景色もガラッと「山」に変化。対向車もあるので、チャリを降りて徒歩で登ります。まだまだ、トンネルは見えんなあ。

岩が迫りつつある山道をゆく。

山道は鳥の声と、たまーに通り過ぎる車の音以外は、かなりの静寂です。傾斜はきつくはありませんが、道幅はギリギリ。やばいところは、こんな感じになっております。

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▲1車線の橋。もう、ガードレールがはみ出ています。

もう一つ驚くのがこれ。
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▲山肌。ほぼ、岩です。岩のすきまから木が生えちゃってます。

道路脇には、むき出しの岩肌がせり立っております。ところどころ岩の塊(しかも尖っている)が転がってきていて、タイヤがパンクしかねません。車で通る方はご用心ください。

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▲「転石注意」でも「崩落注意」でもなく、「崩壊注意」。危険度が段違い。

トンネル到着!

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▲20分ほど歩いて、ようやくそれらしいトンネルに辿り着きました。

やっと山道のてっぺんに到達、トンネルに着きました。でも…これ、至って普通のトンネルに見えます。

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▲「奥谷トンネル」との標記が。

見れば「奥谷トンネル」との標記。1971年に施工したと建設会社のプレートもあります。長さはおよそ100m。んー。ところでひこじいのトンネルはどこだろう?そうして辺りを見てみますと…

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▲おお、「ひこじいのトンネル」の石碑発見。

向かって右下に石碑がありました。奥谷トンネルは確かに、ひこじいのトンネルです。

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▲裏側は着手・完通した年や石碑設置関係者の碑文があります。

「着手 昭和25年4月」「完通 昭和28年8月」ということなので、ひこじいさんは丸3年以上頑張ってトンネルを開けたんですね。

トンネルを見る

それではまずは入り口から、トンネルを見てみましょう。

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▲トンネル入り口の山。

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▲完ぺきに「岩」です。土は微塵もありません。

トンネルを開ける時って、穴開けながら地山が崩れないように固めたり、押さえといたりしないといけないですよね。しかしこの岩山。掘削するのも固そうだし、削ったそばからべっきべきに崩れてきそうです。ここにトンネルをぶちあけるとは、ひこじいさん、只者じゃない。普通だったら「岩山に爆弾やつるはし持っていって穴開ける」なんて無理です。

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▲今では、らくらくと通行できます。

牟岐町史(八一〇ページ)によると、ひこじいさんのお名前は山西彦太郎氏で、西又地区の住民だったようです。また開通当時(約60年前)のトンネルの広さについては、人と荷車が通れるようになった、という記載があります。ちなみに観光ボランティアガイドの庄野さんによると今から約50年前のひこじいのトンネルは、軽トラ一台が通れるかどうかの大きさだったそうです。しかし、当時は海沿いの道も今ほど通りやすくなかったために、今の海陽町との行き来を飛躍的にラクにしたこのトンネルはものすごく重要な交通網でした。海沿いもあかん、山道もあかんとなると、隣町との行き来は船に頼るしかありません。ひこじいさんの功績は絶大ですね。その後1971年(約40年前)の拡張工事で、ご覧のように広くなりました。

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▲トンネルの中。しっかりしてる感じです。

今なおトンネルは健在で、コンクリートも触ってみるとつるっつるです。それから面白いことに、トンネルの中で手をパンと鳴らしたり靴でタンと踏み鳴らしたりすると、ギターやピアノのようにジャラ~~~ンと反響するんです。訪れた方は是非やってみてください。でも、たまに車も通りますので注意するのを忘れずに。

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記事を書いた人

上谷 祥利
上谷 祥利
担当:密着取材、広報、ズッコケ担当

偶然訪れた出羽島に惹き込まれたことが機で、北海道から牟岐町へ移住した男。からだを動かすことが好きでマリンスポーツに挑戦中!しかし「寒い」「怖い」「痛そう」等のビビリ文句を発する度に、主に女性陣からの失笑を買う体たらくである。
色んな所で叩き込んできた文章構成力・生来の柔軟な発想力の2枚看板を武器に、グッと目を引きつける記事を送り出していく。